明日は晴れるかな

車、ドライブ、旅行、写真などを呑気に文章に残します。

いすゞの乗用車

いすゞって凄いんだよ。

 

以前のブログ「キャッチコピーとか...」で大友康平が歌う、いすゞトラックのコマーシャルソングがカッコいいと紹介したのをキッカケに思い出した。

 

sora191004.hatenablog.com

 

 

今ではいすゞと言えばトラックなのだが、かつては乗用車も販売していた。

 

117クーペ

1968年(昭和43年)~1981年(昭和56年)

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117クーペは上記のニュースルームに書かれている通り高級パーソナルカーであり、発売当初から販売停止までその位置づけは変わらなかったと思う。

 

大学生の頃、同期のヤツ(羨ましかったので「ヤツ」)が、堂々と親に買ってもらったと見せびらかしていたのを思い出す。

 

本などでは見ていたが、実車はとてもエレガントで本当に美しいと感じたのを記憶している。

 

ジョルジェット・ジウジアーロのデザインだ。

 

ジウジアーロがデザインした車には、デロリアンDMC-12(バック・トゥ・ザ・フューチャーのベースモデル)や、マセラティ・ギブリ、フォルクワーゲン・ゴルフ、アルファロメオ・159、日産・マーチマツダ・ルーチェ、三菱・ギャラン、上げればきりがない。スズキの軽トラにもあったようだ。

 

カメラでは、ニコンFシリーズ/Dシリーズをデザインしている。その他には、時計、椅子、自転車、徳利・お猪口、洗濯機、etc。

 

で車に戻ると。

日本で始めてインジェクション(BOSCH製 電子燃料制御噴射装置)を搭載した最先端のエンジンだったとのこと。

 

当時、手作り生産という話を聞いていたが、大まかなプレスはして、後は手作業だったというのが本当らしい。製造初期では、スポット溶接の場所が揃っていないということもあったそうだ。

 

月間生産台数は30台~50台。まさにハンドメイド。

 

なんと価格は当時で170万円超、現在の貨幣価値は3倍以上になっているので500万円ほど、大卒の初任給で比較すると1,000万円を超える車だったのだ!

 

今でも、程度が比較的良いのだろうと思われる中古車は300~400万で取引されている。

 

この車を綺麗に乗り続けていたらモテルだろうなと思う。

 

そういえば、ヤツは女性を乗せて走り去っていった...

 

後に、後記したピアツァに移行していった。もったいない。

 

ジェミニ

1974年(昭和49年)~1987年(昭和62年)

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ジェミニ初代には1.8 Lガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」(ダブルズィー)があり。

 

その後には、旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングしたインタークーラー付きターボエンジンの「1.5 イルムシャー」。

 

1.6 Lの4バルブDOHCエンジンを搭載し、足回りを英国ロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定した「ZZ(ダブルズィー)ハンドリング・バイ・ロータス」。

 

これらの「イルムシャー」や「ロータス」といった心躍らせるメーカーが関わっていき、とても魅力的だった。

 

イルムシャーは現在でもオペルのチューニングカーを製造しているようだ。ロータスは現在もトヨタのエンジンをチューニングしピュアスポーツカーとして日本でも販売している。

 

大学時代に、実家がいすゞの出入り業を営んでいた関係でジェミニがあった友人がいて、運転させてもらったりした。とても、乗りやすい車だったと記憶している。

 

4ドアセダンで、グレードは記憶にないが、「ZZ」や「イルムシャー」ではなかったと思うので、4気筒の”キャブレターエンジン”であったと思われる。

 

ベレット

1963年(昭和38年)~1973年(昭和48年)

 

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時代は逆行する。

覚えているのは名前で、そのフォルムは見たような気がするレベルだ。

 

ベレットの「1600GT」は、日本初のGTカーであり、その後「スカイラインGT」、「トヨタ2000GT」と、日本にGTカーブーム(グランツーリスモ)をもたらしたパイオニアとのこと。

 

ステアリングボックスは当時例の少ないラック・アンド・ピニオンで応答性が評価されたとのことだ。昨今はパワーステアリングとなっていて、そのベースはラック・アンド・ピニオンであるようだが、難しいのでパス。

 

とても先進的な車であった。前記した「ジェミニ」に移行していったとのことだ。

 

ピアッツア

1981年(昭和56年)~1991年(平成3年)

 

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ジョルジェット・ジウジアーロのデザイン。

 

ピアツァにも「ハンドリングバイロータス」 仕様があって、MOMOステアリングロータスチューンドサスペンションBBS製2ピースアルミホイール、7項目調節機構付バケットシート等を装備していたらしい。

 

中古車市場では200万円しないようなので、あまり人気がないようだ。

 

1980年代では、カローラ・レビン、ソアラRX-7CR-XスカイラインフェアレディZ、などなど、百科騒乱の時代となって来て、いすゞの乗用車は埋もれていったような気がする。

 

この頃には、乗用車販売はおもわしくなく、結果商品力強化に取り組めなくなって、1990年代前半のバブル崩壊とともに乗用車事業から撤退したようだ。

 

 

ビッグホーン

乗用車と言って良いのか分からないけれど、いすゞSUVである。SUVの草分けだ。

 

親類に5人家族がいて、4ドアのロングホイールベースモデル版で7人乗りのビッグホーンに乗っていた。

 

5人乗せて更に、大量の荷物を積め、子供達が車内で遊び回れる堅牢な車でw、たいへん活躍していた。20万キロを超えても故障はほぼ皆無だったようだ。

 

当時の写真を見ると「SE」のロゴとともに「Handling By Lotus」のロゴがある。エンジンスペックは、3Lのディーゼルターボで、パワーは160ps、トルクは34.0kgmの仕様であったと思われる。

 

2トンを超える車重であったが、ゴッツいタイヤで、グイグイ走る頼もしい車だったと思う。

 

良い車だったが、乗用車事業完全撤退に伴なって、続くモデルを作れなかったのが残念だ。

 

D-MAX

おまけ。

ピックアップトラックは今でも開発生産をしている。

 

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日本では販売はしていないが、アジアや欧州、中東、アフリカ、中南米オセアニアなど100か国以上販売されるとのこと。

 

外観は先進的なデザインでとてもカッコイイ。

 

主要マーケットとなっているタイで、ピックアップトラックのシェア45%を獲得しているらしい。

 

日本で販売しないのは、やはり需要が少ないからだろう。

 

主戦場は東南アジアで、トヨタ、三菱、マツダ、日産、各社も海外でピックアップトラックを商品展開している。

 

頑張ってほしいな、いすゞ。 いすゞのトラック~

 

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