この数十年で大きく変化したと感じることはありますか?
ありますね。前回からの続きです。
夕立
小学生の頃は、夏の夕方に結構「夕立」があったと記憶しています。ゴロッゴロッ... という雷音とともにドバッと雨が降って、しばらくして止むと案外ヒンヤリしました...
気象庁のホームページから「夕立」を調べてみると、
「夏の強い日差しで地面付近の湿った空気が暖められ上昇してできた積乱雲(入道雲or雷雲)などから降る。 長くても1時間程度で消えてしまいます。」です。
近頃夕立がないのは、地面がコンクリートやアスファルトに埋められて、湿り気が上昇しないからかなぁ、と思いました。でも蒸し暑いのは何故かと言われると...
気象学の観点からは、夕立がなくなってきているのは地球的な傾向として見る... なんてあります...
地球がオカシクなっていることに間違いはないようです ( ˃̣̣ᯅ˂̣̣ )
エアコン
暑い... 近年の暑さは尋常じゃありません。 体に堪えます...
高校生の頃まで、家にはエアコンがありませんでした。
高度成長期で親父の給料が良くて?小学生の頃に建て増しをし二階ができました。一階は日が当たりが悪かったですが、そのぶん夏はとても涼しかったです。友人が家に入って「この家は涼しいなぁ」と言ってゴロゴロしていたのを思い出します。
大学生の頃に引っ越してエアコンを使うようになったのは、やはり世の中が暑くなってきたからでしょう。
今では日が当たらなくても酷く暑い... 窓を締め切っていたら蒸し風呂状態です。
そういえば、熱中症って日射病とか熱射病って言ってました。熱中症って言い始めたのはごく最近ですね。
小中高は暖房はあったけれど、冷房はなかったです。
大学は暖房はあったはずだけど... 冷房ってあったかなぁ...
プールで泳いだ帰りに食べた”おでん”が美味しかったのが忘れられません。
路面電車
東京都交通局より
東京に住んでいたので、いわゆる「都電」です。「チンチン電車」と言っていました。チンチン電車にコンピューターなど使われてませんね。
スグになくなってしまいバスに切り替わったといます。一瞬だったかと...
さすがに写真のような都電で銀座に行った記憶はありません。(,,>᎑<,,)
けっこう東京を網羅していたようです。よくぞまあ電線を張り巡らせたものだと感心します。
黒いバックを下げた車掌さんがいたのも微かに記憶があります。ということは、ワンマンになってからしばらく運用されていたでしょうから、「スグになくなった」という記憶は食い違いがりますね。う~ん...
チンチン電車は一般道を車と一緒に走るので、雨の日などは線路でけっこう滑っていたようです。叔父が車でやって見せてくれました。その叔父は、母を乗せて事故ってしまい、二人で入院してましたw
都電荒川線が残っているのは、”専用軌道が多かった”(車の渋滞に巻き込まれずに運用することがある程度できる)ことや、荒川線の走る軌道に沿った道路が無くてバスに切り替えられなかったからだそうです。
宇都宮では2023年8月に宇都宮ライトレール LRT(Light Rail Transit=次世代型路面電車)が導入されました。案外かっこいいのでいつか乗ってみたいものです。ですが、なぜバスではないのか...はハッキリとは分かりません。それに全線に電線を使っているようですが、なんでバッテリーは使わないの?と思います。
衛星都市(死語?)では、少子高齢化で市街地の空洞化が進みます。LRTを軸とした町作りで都市の再生を目指すそうです。車なしでも快適に住めるという町ですね。
宇都宮ライトレール うまくいくと良いなと思います。
洗い張り
突然、毛色が違う話になります。
祖母が何時も着物を着ている人でした。それに、しょっちゅう畳に座って縫い物をしていました。
大野城市 民具展より
なので、こういう道具があったのを覚えています。
祖母のものとそっくりです。火鉢もありましたが、こてはアイロンだったと思います。豆炭あんかもありました。懐かしい...
大きな長い板に、生地を貼り付けて乾かしていた?のを覚えています。後に、それはどうやら”洗い張り”と呼ぶらしいことを知りました。板は”張り板”。
洗い張りは、着物を解いて反物の状態に戻して洗い、布のりを引き、湯のしや伸子張りで反物の幅を整え記事を蘇らせることなのだそうです。仕上がりは反物の状態のため、着物にするために仕立て直す必要があります。
祖母はどうやら、この一連の流れを自分一人でやっていたと思われます。凄い...
祖母は亡くなるまで着物で通していました。母は、洋服でした。
ーーーーーーーー
色々と変わって来ました。もの凄い勢いで... (⊙⊙)
ᐕ)ノシᵇᵞᵉ ᵇᵞᵉ