三種の神器... 昔はなにかに付けて言っていたような気がする。
なにかが何かは覚えていないけれど...w
例によって浅~く調べて都合のいいように想像しているので、間違っていることが多々あると思う。が、まぁそうであっても誰かの人生に影響するものでもないし、ましてや自分の人生にも影響はないので良しとする(大汗)
調べてみたらダラダラ長くなってしまった ( •᷄◡̑•᷅ )ヤレヤレ
「三種の神器」の読み方
「三種の神器」ってどの様に読むのか? 一般的には「さんしゅのじんぎ」らしい。
学生の頃は「じんぎ」じゃ「仁義」になっちゃうじゃん、なので「しんき」じゃないのか?、と思っていた。
だが、誰が三種の神器と名付けたのかも判らないので、どうやら「じんぎ」でも「じんき」でも「しんぎ」でも「しんき」でも良いらしくて、結局正しい読み方というのはなさそうだ。google日本語変換も、どれでもOK…w
「三種の神器」って何?
う~ん... 小さな脳味噌で考えると... 「鏡」「剣」「盃(さかずき)」ではないかと思った。
「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)だそうです。惜しい... 勾玉だったか。
「三種の神器」という呼び名は、「古事記」「日本書紀」のそれぞれの本文には当てはまる記載はなく、似た表現として日本書紀の「第一の一書」(脚注という位置付け)に「三種の宝物(みくさのたから)」という表現が見られるにとどまるようだ。
三種の神器の出自
天照大神(あまてらすおおみかみ)の命によって武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ:鹿島神宮)と経津主神(ふつぬしのかみ:香取神宮)が葦原中津国(日本)を平定した後、天照大神は葦原中津国を統治させるために孫の邇邇芸命(ににぎのみこと:初代天皇である神武天皇の曽祖父(ひいじいさん))を高天原から降臨させた(天孫降臨:てんそんこうりん)際に授けたのが「草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉」であり、後々三種の神器として伝承されていく。と…たぶんこれであっていると思うが… (汗)
で、それぞれについて...
「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)
伝承
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
スサノオは高天原で幾多の悪さをした挙げ句、天照大神が天岩戸に隠れてしまう(岩戸隠)原因を作ってしまったため高天原から追放され出雲国へ降りた。
その頃、スサノオは出雲国を荒らしていたで八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、その際に大蛇の体内(尾)から見つかった神剣が「草薙剣」だ。
なぜ天照大神に草薙剣を献上したのか… 八岐大蛇を退治した証を献上することで、天照大神への服従を誓ったのではないかと想像する...
その後、天照大神は天孫降臨の際に草薙剣を邇邇芸命に授けるのだが、これは葦原中津国を統治するにあたっての力の象徴としてのものではないかと想像する…
第十代 崇神天皇(すじんてんのう)時代 紀元前50年頃
時は流れて(はしょって)、崇神天皇の時代に皇居より八咫鏡とともに持ち出され伊勢で祀られることになる。
伊勢神宮で祀られる経緯の中で形代(かたしろ:=依り代?)が作られて、形代は皇居に残された。これらの経緯は諸説あるようで、稚拙な脳味噌では理解・整理ができなかった(汗)
第十二代 景行天皇(けいこうてんのう)時代 100年頃
また時は流れて、景行天皇の時代、葦原中津国は天皇に逆らう神々で荒れたらしい…
景行天皇は息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)に葦原の国を平定せよと命じる。命を受けた日本武尊は先ず西の部族(神ではない?)を征伐する。そして東の荒ぶる神々を平定しに行く際、伊勢神宮の倭姫命(やまとひめのみこと:日本武尊の叔母)が剣を授ける。
日本武尊が東征のなかで剣によって窮地を脱したことから草薙剣と呼ばれるようになった。
東征を成し遂げ、尾張国で宮簀媛(みやずひめ)と結婚。
その後、伊吹山の荒神を征伐に行く際に草薙剣を持たずに出陣してしまい、伊吹山の神によって命を落としてしまう。草薙剣を持たなかったのは、草薙剣が神々しく光ったために手にすることができず宮簀媛に預けた、という伝承もあるようだ。
ちなみに、伊吹山の荒神がその後どうなったのか… わからない…(汗)
宮簀媛(みやずひめ)は、亡くなった日本武尊の形代として草薙剣を祀ったのが、後の熱田神宮になった。
壇ノ浦の合戦
また時は流れて平安時代末期(なので1000年以上後だ)。源氏と平氏による壇ノ浦の合戦で平氏の敗北を悟った者たちが次々と自殺していく。そのなかで、二位尼(にいのあま:清盛の後妻とされる)が幼い第八十一代 安徳天皇を抱き、草薙剣と八尺瓊勾玉とともに入水した。
この時の宝剣(草薙剣)は崇神天皇の時代に作られた形代で熱田神宮のものでは無い。
源氏は壇ノ浦(関門海峡)に沈んだ草薙剣を探したが見つけることができず、後に朝廷は伊勢神宮から献上された剣を「草薙剣(形代)」とした。
近代
オリジナルとされるものは、現在も熱田神宮に安置されている。
熱田神宮の御祭神は熱田大神であり、熱田大神とは草薙剣を依代とする天照大神である、ということが熱田神宮のホームページに書かれている。しかし、相殿神(あいどのしん)として五人の神が上げられていて、その中に天照大神が書かれている。いまひとつ腑に落ちない内容だ。型取って作ったと云われる形代(かたしろ)は皇居にある。が、熱田神宮、皇居どちらも見た者はいない。
明治天皇が皇居に祀られた草薙剣(形代)を伴って熱田神宮に宿泊しており、熱田神宮に祀られている神代由来の草薙剣とその形代が遭遇することになったというエピソードがあった。
その後、熱田神宮にて太平洋戦争を掻い潜り現在に至る。
重大な伝承を持つ熱田神宮が、延喜式神名帳上では熱田神社とされており、何故神宮として名を連ねることができなかったのか不思議だ。
余談だが、熱田神宮の宝物館にはたくさんの刀剣が展示されているようなので、死ぬまでに一度観に行きたいと思う。
「八咫鏡」(やたのかがみ)
伝承
天照大神
天照大神が天の岩戸に隠れた際に(岩戸隠)石凝姥命(いしこりどめ)が作成したとされる。天照大神が岩戸を薄く開けた時、この鏡で天照大神自身を映し興味を持たせて戸を開けさせ、その隙に天手力男神(あめのたぢからおかみ)が天照大神を引きずり出した。
後に天照大神は天孫降臨の際、「この鏡を天照大神自身だと思って祀るように」と八咫鏡を邇邇芸命に授けた。
第十代 崇神天皇(すじんてんのう)時代
草薙剣同様に、崇神天皇の時代に皇居より持ち出され伊勢で祀られることになる。祀られる経緯の中で作られた形代は皇居に残された。草薙剣同様、その経緯はよくわからなかった。
皇室の祖先であり日本で最も尊い神である天照大神の依り代である八咫鏡が、なぜ皇居ではなく伊勢神宮にあるのかは、きっと伊勢神宮のホームページの「皇大神宮」にある説明が正しいのだろうと思う。イマイチよくわからないけれど...
壇ノ浦の合戦
壇ノ浦の合戦で二位尼が幼い第八十一代 安徳天皇とともに入水した際に持っていたのは草薙剣(形代)と八尺瓊勾玉の二つとされている説と、さらに八咫鏡(形代)を加えられている説があるようだ。後者では、源氏は八咫鏡(形代)を見つけている。
近代
オリジナルとされるものは、現在も伊勢神宮 皇大神宮(内宮)に天照大神の御神体として祀られている。また、形代も宮中で祀られている。が、どちらも見た者はいない。
素材は鉄(あるいは青銅?)と伝えられているようだが、何しろ誰も見たことはないし見ることができないのでその実は分からず、数度?作り変えられているとも言われている。
「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)
伝承
天照大神
天照大神が天の岩戸に隠れた際に玉祖命(たまのおやのみこと)が作成したとされる。しかし、それをどの様に使って役に立てたのかが分からなかった…
天照大神は天孫降臨の際に邇邇芸命に、草薙剣、八咫鏡とともに八尺瓊勾玉を授けたとされている。草薙剣には葦原中津国を統治するに当たっての強さの象徴(勝手に解釈)、八咫鏡は天照大神自身として祀る、といった意味が込まれていると思われるが、八尺瓊勾玉にはどのような思いをもって授けたのか想像がつかない。
天照大神が邇邇芸命に授けて以降、長い間宮中で三種の神器として祀られ、天皇(朝廷)のシンボルとなっていた、ということだろう。
壇ノ浦の合戦
壇ノ浦の合戦で、二位尼の入水とともに壇ノ浦(関門海峡)に沈んだが、木箱に入っていた八尺瓊勾玉は海に浮き上がり源氏が回収することができた。
近代
オリジナルとされるものは、現在も宮中で祀られている。形代は作られていないようだ。
なぜ形代でいいの?
源平の戦いや南北朝で三種の神器の争奪戦が繰り広げられた? しかし、なぜ形代を狙い、伊勢神宮や熱田神宮のオリジナルを手にしなかったのだろう。
諸説あるようだが、「形代ではあるが、天皇の象徴として継承されてきた三種の神器を手に入れたかった」あるいは「実物は恐れ多くて手を出せなかった」といったこと全て合わせて腑に落ちた。
皇室の即位と三種の神器
皇室経済法という法令の 第7条に「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣(皇位継承順第1位の皇族)が、これを受ける。」とある。
「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」というのが何なのか詳細は分からなかったが、三種の神器か含まれているのは確かだ。
しかし、天皇即位に伴う「剣璽(けんじ)等承継の儀」で用意されるのは剣(草薙剣)と璽(八尺瓊勾玉)の二つだけだ。
剣璽等継承の儀で八咫鏡が継承する物として賢所(かしこどころ)から持ち出されないのは、八咫鏡が天照大神の生き写しであり最も尊いものであるためとされ、後日行われる「賢所の儀」(かしこどころのぎ)で賢所に参拝し皇位を継承することを報告するということのようだ。
現存・消失論議
Wikipediaに気になる表題があった。「三種の神器が現存するのか否か」。
そもそも現代の誰も実物を見たことがないのだから論じるのは不毛な気がする。なので、オリジナルが有る無しはどうでも良くて、それらが重要な意味を持ち祀られ継承され続けられていることに意味があると思った。
というわけで文章のみのブログになって、ここまで読んでは頂けないと思うので、面白かったのは自分だけだろうなぁ...w
ᐕ)ノシᵇᵞᵉ ᵇᵞᵉ